ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

成熟した人格を導く良好な人間関係とは

何ということでしょう。

12月に入ったというのに、少し動けば汗ばむような温かさ。

地域のご婦人たちは皆、

「いや~、ぬくうてなんや気持ち悪いなぁ。長いことここに居てるけど、こんなぬくい冬は生まれてはじめてやでぇ・・」と口々に言い合っています。

明日は、気温がぐっと下がるとか。

週末にかけて、気温が不安定のようですね。

皆さまも、どうぞ体調管理にご留意くださいませ。

 

さて、昨日、元女子マラソン選手が、厳しい練習と体重管理の末に摂食障害を発症し、病的窃盗症を合併したというニュースを耳にしました。

1日に4~6回の体重測定を命じられ、食事も間食も厳しく制限され、現役中には8回の疲労骨折を経験したそうです。

好きで好きでたまらなかった「走ること」が、次第に苦痛になり、指導者に怒られないために仕方なく走り、仕方なく体重制限を守る。

そんな数年間ののちに、「食べ吐き」が常態化し、摂食障害を発症しました。

 

「食べたいのに食べられない」という強いストレスを抱えながら、それを周囲に打ち明けることさえ許されず、周囲には常に「最高に頑張っている自分」を演じていなければならない孤独感、疲弊感はいかばかりだったでしょう。

自分のこころを、自分の身体を、自分の魂を、これからは自分自身で大切にしてあげられる人生を歩んで欲しいと願い、応援したくなりました。

 

そんな彼女のことがなぜ心に残ったのかというと、実は、コミュニケーションと対人関係に関する研修のご依頼をいただき、このところ、「(境界)バウンダリー」のことをよく考えます。

バウンダリーとは、人と人との間にある文字通り「境界線」。

この境界線をお互いにしっかりと守り、不用意に相手の領域に侵入せず、適度な距離を保っている場合には、良好な人間関係が築けます。

ところが、境界線を飛び越えて相手の領域に侵入し、相手をコントロールしてしまったり、相手の侵入に困ってはいても、「良い上司・部下」「良い夫・妻」「良い子」であろうとするあまり、「ノー」が言えずに自分自身を大切にできないでいるとさまざまな綻びが生じます。

 

元マラソン選手と指導者の関係性は、指導者が「彼女を強くする」という大義名分のもとに境界を飛び越えて彼女を支配し、「支配ー被支配」の関係性にあったのではないでしょうか。

頑張っても頑張っても指導者や世間の期待に応えきれていないという思いは募り、努力の陰で彼女の自己肯定感はどんどん低くなっていったように思います。

ラソンを辞めてもなお彼女が摂食障害や窃盗症に悩まされていたことを考えると、人生の早い段階で、人間性や人権を否定されるような強い支配を受けると、そこから立ち直るのがいかに容易ではないかがわかります。

 

人と人との間にあるバウンダリー(境界線)を飛び越えて侵入するという行為は、大きく言えば人権問題であり、倫理的な課題を含むものです。

その人の感情や態度や信念、そして選択、価値観、これらはすべてその人のものです。

周囲の人間は、その人の態度や信念、選択が変化するような影響を与え続けることはできても、それを変えることはできないこと、そして成熟した人格を導く良好な人間関係は、いつでも「ノー」と言い合える関係性のもとに成り立つことを忘れないようにしたいと思います。

 

それにしても、ご本人が、「周囲の人々に迷惑をかけた・・、周囲の人々、同じ病気の人の役に立つ生き方がしたい」と強調されているのが少々気になります。

周囲の人々や世間の人なんてどうでもいい!

あなた自身が他でもないあなた自身を一番大切に守っていける人生を歩んで欲しいと願わずにはいられません。