ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

浜田晋先生の「忘れられない一人のナース」

浜田晋先生をご存知でしょうか?

ご存命であれば、今年で92歳。残念ながら、8年前に他界されました。

1974年から東京の下町で精神科のクリニックを開業し、長年地域精神医療に尽力された方です。

 

先生のことを初めて知ったのは、私がまだ小さな農村で保健師をしていたころのことでした。

精神障害とともにある方とのかかわりで悩んでいたころ、保健師雑誌かなにかで先生のことを知りました。

先生の患者さんとのやりとり、そして人々の暮らしをみつめるあたたかな眼差しに惹かれ、毎月の連載を楽しみにしていたものです。

 

そんな先生のご著書のなかから、ある一文が目に留まりました。

それは先生が晩年になって(2010年)出版されたご本の一文です。

長くなりますが、引用させていただきますね。

 

 

忘れられない一人のナース(「看護師」という言葉を私は好まない)のことに触れておこう。

 ある夜、私は高熱にうなされ、痛みのために眠れなかった。一滴ずつおちる点滴(今の私にとっては命の水)を眺め、不思議な思いにひたっていた。そろそろ次の点滴液にとりかえる時が来ていた。私はおそるおそるナースコールを押した(この時間帯は病棟にナースが二人、多忙な時である)。そして来たのが一人のナース。「点滴をかえる時間ですね」とすでに準備してきている。「いかがですか?」と私の身体に触れた。「いけない!汗びっしょりじゃあないですか。すぐ着替えましょう」と部屋を出た。「今すぐ処置しますから」と、熱いタオルで私の全身を拭き始めた。なかでも背中をごしごしごしごし、その手は力強かった。胸から腕から脚までやさしく拭いてくれた。手早かった。これは職人の手の動きである。とにかくすばやい。要領がよい。

 もちろん、この病院のナースは知的である。私の知る昔のナースとはちがう。生きた知識をもっていて、とても若い医者は太刀打ちできない。しかしこの女性はさらに一味ちがう。とにかく力強く、そしてやさしい。その力が私のからだ中に心地よくしみこんでいった。

岩波書店 浜田晋 「老いるについて 下町精神科医晩年の記」138

 

この場面は、82歳の浜田先生が急性胆嚢炎で2週間、都心の病院に入院した時のエピソードです。

高熱と痛みで朦朧とするなか、おそるおそるナースコールを押した先生。

そこにやってきた一人のナース。

身体に触れて、すぐさま熱いタオルで背中をごしごしごしごし(なんと4回!)。

力強く拭き、胸から脚はやさしく、手早く、そして要領良く。

そのナースの力がからだに心地よく染み込んでいったとか。

 

都心の病院の夜の病室は、四六時中救急車のサイレンが鳴り響き、薄暗い廊下から漏れるわずかな灯りは、いっそう病む人を心細くさせます。

「汗をかいて・・」と訴えなくても、身体に触れ、「これはいけない!」とすぐに熱いタオルをもってきてくれたナース。

タオル越しに感じるナースの力強く、そしてやさしい力の入れ方、疲れさせないように要領よく動かすタオルの扱い方に、「職人の手」を感じたとのこと。

この夜、浜田先生は、一人のナースになにか救われた思いをなさったのではないでしょうか。

 

なにも、長いかかわりがあったわけではありません。

たった一晩の、たった一回のかかわり。

まさにワンチャンス。

その短いかかわりでも、「忘れられないナース」として長く人の記憶にとどまるのが看護という仕事なのですね。

シンプルに、看護のもつ力を浜田先生から教えていただきました。

 

看護という仕事を何十年続けていても、目の前の患者さんは初めて出会う人。

常に緊張感をもって仕事に当たりたいとおっしゃっていた先輩を、しみじみと思い出しました。