ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

お詫びとお知らせ、そして感謝

みなさま、本当にご無沙汰しております。

思えば、2月末から2か月半も音沙汰なしのこのブログ。

ご心配をいただいた方がいらっしゃるかも知れません。

本当に申し訳けありませんでした。

 

ご報告が遅れましたが、

「ケアする人をケアする」というコンセプトと名称で始まった本ブログの内容は、

今後、「渡辺式家族看護研究会」のホームページ及びfacebook内で、情報を発信させていただくことになりました。

これまでお心にかけ、ご覧くださった皆様、引き続き、HP、facebookでお目にかかれれば幸いに存じます。

 

なお、当ブログは、1か月を目途に閉鎖させていただきます。

短い間ではございましたが、ありがとうございました。

 

 

「渡辺式」家族看護研究会in関西 第1回目開催しました!

皆さま、長らくお待たせいたしました!

 

2月23日(土)に、ついに「渡辺式」家族看護研究会in関西の、記念すべき第1回、事例検討会が滋賀県立総合病院で開催されました。

当日は、素晴らしい晴天に恵まれ、大勢の方がご参集。

遠くは、なんと福岡県から駆けつけて下さった方も!

 

看護職、介護職、ケアマネジャー、心理士、移植コーディネーターなど、多職種が集い、在宅で超高齢者を介護しておられるひとつの家族に対する支援を考えました。

まずは、家族支援専門看護師による「渡辺式」家族看護アセスメント/支援モデルの講義。

 

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そして、事例の共有

事例提供者もリラックス。

質問もたくさん。

そして笑顔のうちにグループワークに突入です。

グループワークでは、ケアケアの会の仲間がファシリテーターをつとめて下さいました。

 

「この娘さんは何に悩んでるんだろう?」

「この人の対処は?」

「これって、どういう意味があるんだろう?」

「何を訴えたいのかな?」

「看護師は、どう対応しているの?」

「その裏側にあるものって何だろう?」

「それで、娘さんと二人の関係は?」

「ご本人の介護を共に考えるパートナーとしての、パワーのバランスはどうだと思う?」

 

そんないくつかの問いかけに、グループメンバーそれぞれが真剣に考え、ディスカッション。

絡まり合った糸がひとつひとつほぐれ、ことの全容が明らかになっていきました。

「そうか!そういうことかも・・・なるほど・・」

そんな小さな声も漏れ、さまざまな援助の方策が生まれてきました。

 

それぞれの職種の視点、その参加者個人の支援者としての体験をしみじみと感じさせられる意見の数々。

そして、出された援助のレパートリーの豊富さ。

「いい検討会だったね」

そんな声があちらこちらから聞こえてきた第1回目の関西支部旗揚げでした。

 

2019年度は、6月22日(土)からスタートです。

詳しいことが決まり次第、またお知らせしますね。

どうぞご期待くださいませ!

 

そうそう、打ち上げは、もちろん近江牛とビール!

こちらも言うことなし。。でした。

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「渡辺式」家族看護研究会設立総会&4月開催のケアケアの会のお知らせ

本ブログでお知らせしておりました4月20日(土)開催のケアケアの会の詳細が決まりました。

実は、このたび、金沢大学医薬保健学域保健学類 柳原清子先生を会長、家族ケア研究所 渡辺裕子を副会長とする「渡辺式」家族看護研究会が発足の運びとなりました。

今後、ケアケアの会は、「渡辺式」家族看護研究会活動のひとつとして位置づけられることになります。

つきましては、4月開催予定のケアケアの会は、「渡辺式」家族看護研究会設立総会を含んだ以下のプログラムとして開催いたしますことをお知らせいたします。

 

「渡辺式」家族看護研究会が、新たなスタートを切る門出でもあり、午後からは、おなじみのシートを面接で使ちゃおう!というロールプレイにチャレンジします。

皆さん、どうそふるってご参加くださいね。

そしてそして、たくさんの仲間と繋がちゃいましょう!!

 

                 記

1.日時 2019年4月20日(土) 10時~16時30分

2.場所 兵庫勤労市民センター 講習室 ☎078-576-0981

     (神戸市兵庫区羽坂通4-1-1 JR兵庫駅より徒歩2分)

3.日程 10~12時 「渡辺式」家族看護研究会設立総会

     12~13時  昼食休憩

     13~16時30分 「人間関係見える化シート」を用いた

             面接のロールプレイ

4.参加費  1000円 

5.参加申込み、問い合わせ先  kazoku-care@k6.dion.ne.jp(担当 渡辺)

 

*終了後、17時~19時まで懇親会を開催いたします。(参加費3500円)

*参加をご希望の方は、4月13日(土)までに、懇親会参加の有無を明記してメールにてお申込みください。

*ご参加くださる方は、「渡辺式」家族看護に関心のある方ならどなたでもOKです。

 

 

 

老親のサポートに果たす家族の役割

誤嚥性肺炎からは回復したものの、以前のようにサービス付き高齢者住宅での一人暮らしが難しくなった父。

その父の次の生活の場所を探して引っ越し、生活が落ち着くまでのサポートを果たして一昨日自宅へ戻りました。

 

皆さんは、介護という言葉からどんな行為を連想されるでしょうか?

食事、排泄、更衣、移動のお手伝いをしたり、話し相手になったり。

主に身体的、精神的なケアを思い浮かべられるのではないでしょうか。

ところが、老いた親のサポートには、それだけではないもろもろのことが含まれることを実感しました。

 

具体的には、入院、次の入所先探し、引っ越し、退院、入所という一連の事柄に付随する調整。それに伴う相手方との報告・連絡・相談。そして諸手続き。

入院中には、治療の選択、あるいは退院カンファレンスへの出席を通した相談や連絡。

入所先探しにおいては、見学や面談に足を運び、父の状況や希望を伝えて相談。部屋や入所日、費用をめぐる調整。

引っ越しにおいては、業者の選定、トランクルームの契約、捨てる荷物、運ぶ荷物の決定と連絡。

引っ越しに伴う役所への諸届。

 

このようなことに必ず伴うのが、諸手続き。

印鑑、通帳、身分を証明するもの、介護保険証、介護保険の負担割合を証明するもの、健康保険証などなど。

ところが、90歳の父には、こうした大切な書類等を管理する力はなく、印鑑はゴロゴロあってもどの通帳がどの印鑑なのかわからない。

5年前の書類はあっても、今のものがない。

当然、役所に行っても銀行に行っても、書類が不備で何度も足を運ぶことになり、スムーズに事は運ばない。

ということの連続でした。

 

もしもお子さんのいらっしゃらない90歳近い夫婦のどちらかが倒れたとして、その高齢のパートナーにこうした一連のことをこなせるとは考えにくいのではないでしょうか。

皆さんはどうしておられるのでしょう。

特に、退院という期限があるなかで、物事を進めていくには、体力、気力、そして経験がある程度必要だと思います。

介護における家族の役割とは、寄り添い、日常の世話をするだけではなく、生活のダウンサイジングをめぐる判断、そして周囲との調整や手続き等が含まれることを実感した体験でした。

 

特に女性の多くは、最晩年には一人暮らしになることが予測されています。

一戸建てから高齢者マンションへ、高齢者マンションからグループホーム等へ。

財産、荷物を処分し、生活の場を変えるという生活のダウンサイジングを、医療、福祉の場にまたがって支えてくれるのはケースワーカーさんや相談員さんということになるのでしょうか?

自分の場合はどうするのかを考えておかなければいけないと考えた体験でした。

 

 

90歳、ケアスタッフに向けた私のトリセツ

昨日のブログで、もしも自分が高齢者ケア施設に入ったらどんなケアを受けたいかを考えてみました。

そうそう、あれもこれも・・。

考えているうちに、私自身、かなり高い確率で高齢者ケア施設にお世話になるのではないかと思えてきました。

「自宅で最期を」という流れの一方で、自分自身はどうしたいのかを考えてみると、「慣れ親しんだ家具や物、自宅という特別な空間」に自分はさほどの強い愛着がないことに気づきました。

それよりも、人の気配やぬくもり、温かさに包まれて生涯を閉じたい。

そのためにも、スタッフに上手にケアを受けられる高齢者にならなければなりません。

 

そこで、90歳の自分を想定しつつ、スタッフに向けた私のトリセツを考えてみました。

90歳を過ぎ、自分の気持ちをうまく言葉で伝えられなくなっているかも知れません。

そんな時、このトリセツが役に立ちますように!

 

<90歳 〇〇〇子 スタッフの皆さんへ> 

①あなたの目の前には、大勢のケアすべき高齢者がいることでしょう。皆、「高齢者」であり、「利用者」ではありますが、私は他でもない唯一無二の私という存在です。スタッフの方は、他ならない「私」という存在に関心を向け続けてください。

 

②私は、込み入ったことを判断することが難しくなっています。ただ、だからといって自分のことなのに自分抜きで物事が決まっていくのは人としてとても悲しいし、情けないです。私のことを、私がいないところで決めないでください。

 

③私は認知症かも知れません。ただ、何が好きで何が嫌いか、今、ジュースが飲みたいのかお茶が欲しいのかはわかるときもあります。年だから、認知症だからといって、日々の小さな楽しみを自分らしく調える幸せを取り上げないでください。

 

④私は、もはやうまく身体の状況を言葉で伝えられません。特に具合が悪い時はなおさらです。だから、常に「苦痛があるのではないか」という視点で注意深く私を見つめてください。そして「歳だから仕方がない」というのではなく、苦痛が少しでも軽減できるような工夫をどうぞ続けてください。

 

⑤私にはいくつもの持病があり、長らく薬を飲み続けています。でも最近になって、その薬も管理できなくなってきました。いろいろと症状も出てくると思いますが、そうした身体の細やかな変化に気づいて迅速に対応してくださる方が側にいるととても安心できます。

 

⑥自分自身、とても心配していることがあります。それは、何度説明を受けても、急にベッドから立ち上がって危険な行為を繰り返したり、外に出たがったり、入浴を拒んだり、大声を出したり・・。ひょっとしたらスタッフを困らせるような、そんなことがあるかも知れません。ただ、きっとその時々で、私には私なりの「そうせざるを得ない何か」、伝えたい何かがきっとあるように思うのです。どうぞ、それが何なのかを根気強く考えてはいただけないでしょうか。「私」という人間に関心を向けずに業務を優先するあまり、縛られるようなことがもしもあったとしたら、自分にはそれでもなお生きていく力があるかどうか自信がありません。

 

⑦家族も私が年老いたことで、先々のことを心配し、心を痛めています。家族の気持ちを癒し、元気づけるのは、私が皆さんから充分なケアを受け、満ち足りた日々を過ごしていると家族が実感することです。どうぞ私の家族とスタッフの皆さんが、より良い関係のもと、コミュニケーションがはかれることを願っています。

 

⑧私は、この世で授かった身体を使いきり、生き切った末にあの世にいくのはとても自然なことだと思っています。死も日常の一部、当たり前のことだと考えていますから、機械につながれて生きたくはないと思っています。ただ、その時々で気持ちは揺れるので、私が揺れる気持ちを話したときには、どうぞ「死」の話題を避けないで話し相手になってください。あなたに話しながら、私自身がきっとその時々の答えを見つけていけるのだと思います。

 

これから年齢を重ねるに従い、きっと気持ちも変わってくると思います。

時々見直しては、修正したいと思います。

 

ところで、こんなややこしいことを並べるおばあさんを受け入れてくれる場所はあるのでしょうか?

少し心配にもなってきました。

 

 

 

 

もしも自分が、高齢者ケア施設で最晩年の時を過ごすとしたら

今朝、市原悦子さん、梅原猛さん、お二人の訃報が飛び込んできました。

両親ともに高齢者ケア施設で暮らす今、自分自身の人生の最晩年についても考えるようになりました。

 

もしも自分が、高齢者ケア施設で人生の締めくくりの時を過ごすとしたら、どんな時間を紡ぎ、どんなケアを受けたいか・・。

きっと、食事、排泄、入浴、レクリエーションなど、施設のルーティンに添って過ごすことになるでしょう。

ただ、そうではあっても、スタッフの方には、他ならない「私」という存在に関心を向け続けてもらいたい。

 

うまく身体の状況を言葉で伝えられない、訴えられないこともあるでしょう。周囲のスタッフには、常に「苦痛があるのではないか」という視点で注意深く私を見つめてもらいたい。

そして、「歳だから仕方がない」というのではなく、ともかく苦痛に関しては、緩和してもらいたい。

 

これから年齢を重ね、さまざまな持病を抱えるかも知れません。ある程度の年齢まではは自分で管理できても、症状への対応や薬の細かな調整はできなくなってくるでしょう。

小さな変化に気づいて、迅速に対応できる力のあるスタッフにいて欲しい。

 

そして、何度説明を受けても、急にベッドから立ち上がって危険な行為を繰り返したり、外に出たがったり、入浴を拒んだり、大声を出したり・・。

スタッフを困らせるような、そんなことがあるかも知れません。

ただ、きっとその時々で、私には私なりの「そうせざるを得ない何か」がきっとあるようにも思います。

それを根気強く考えて欲しいと思うのです。

「私」という人間に関心を向けずに業務を優先するあまり、縛られるようなことがもしもあったとしたら、自分にはそれでもなお生きていく力があるかどうか自信がありません。

 

こんなことを考えていくと、高齢者ケア施設での看護職の存在の大きさに今更ながら思い当たりました。

一般病院に比べ、看護師の数が圧倒的に少ない高齢者ケア施設で、どう新人看護師を育てていくのかは、本当に重要なことですね。

 

そんな課題に応えているのがこちらの一冊

高齢者看護の実践能力を育てる 高齢者ケア施設の看護をベースにして

 

以前は、新卒看護師の就職先は「病院」が圧倒的でした。

しかし、病院のみならず、地域、高齢者ケア施設など、就職先の選択肢も増えてきています。

「高齢者ケア施設で働きたい」「高齢者の看護を極めたい」と考える新人看護師をいかに育てていくのか、それは、まさに自分自身の人生の締めくくりに直結する問題だと感じています。

 

「モノ」は人を幸せにしないー老親の荷物の片付けで思う

今年、初めての更新です。

新年のご挨拶というのも何やら恥ずかしいのですが、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

 

さて、なかなか更新できなかったのは・・。

昨年12月に父が入院。

退院後には、高齢者サービス付き住宅での一人暮らしは難しく、

・新しい施設探し

・入所希望の面談

・入院先での退院前のカンファレンス

・高サ住退去に伴う荷物の整理と引っ越し業者の選定

・一部荷物をトランクルームに保管することになりその契約

・引っ越しと荷物の廃棄

などなど、父の生活のダウンサイジングに伴うあれやこれやに取り組む日々。

やっと今週退院までこぎつけ、あとは住民票を移せば無事に一段落といったところです。

 

ここ1か月余りで感じたことは数々あり、「老いていく」という現実を再認識する日々でした。

父、85歳、母80歳から5年間暮らした部屋は、気が付けば立派な汚部屋に仕上がっており、怪しげな掛け軸や骨董品が出るわ、出るわ。

ネットオークションで、次々に「ポチリ」。

貯金を使い果たすまで買い続けた戦利品が押し入れに投げ込まれていました。

 

そして、5年前からの介護保険関係の書類や各種請求書などが山のように出てきました。

何が大切な書類で何が大切でないのかの判断ができずに、すべて溜め込んで保管しているつもり。

やがてどこに何があるのかなど全くわからなくなり、ゴミの山。

かと思えば、50年も前の、私が小学生だったころの通知表がヒョコッ出てくるというありさま。

押し入れやタンスの引き出しを開ければ、両親の頭と心の混乱状態がつぶさにわかるような気がしました。

 

何が必要で何が不必要なのかの判断がつかなくなり、捨てられない。

そして買っても買っても、買ったことを忘れてしまい買い続けて不要になったものを捨てられない。

家族も含めて上手に周りの人々との関係を育てていくことができなかった両親。

支援を受けるのも、とても下手でした。

 

さてさて、今回、父の転居先に持ち込める荷物は、小さなタンスとテレビ。そしてスーツケース1個分の衣類のみ。

結局最後に必要になるものは、たったこれだけ。

自分自身で管理できない荷物を増やしてはいけないとつくづく思ったのでした。

 

「断捨離」。

単に荷物を減らすというのではなく、自分にとって何が必要で何が不必要なのかを見極め、不必要なものをそぎ落とし、必要なものだけにエネルギーを注いでいく「生き方」のことだと理解しています。

物の断捨離。

人間関係の断捨離。

 

結局、今回の両親の荷物のかたずけを通して学んだことは、老いに向かう自分の生き方。

自分が心地よいと思える関係性を大切に育てながら、背伸びをせずに自分が本当にしたいと思うことを自分のペースで続けていこう。

そしてモノは極力増やさない。

モノは、結局のところゴミになるだけ。

自分が管理できないモノは、自分も人も幸せにはしない。

そんな当たり前のことを再認識したのでした。

 

自分に最期が訪れたその時に、廻りの人が困らないようにだけはしておきたい、そんな生き方がしたいと思っています。