ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

「モノ」は人を幸せにしないー老親の荷物の片付けで思う

今年、初めての更新です。

新年のご挨拶というのも何やら恥ずかしいのですが、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。

 

さて、なかなか更新できなかったのは・・。

昨年12月に父が入院。

退院後には、高齢者サービス付き住宅での一人暮らしは難しく、

・新しい施設探し

・入所希望の面談

・入院先での退院前のカンファレンス

・高サ住退去に伴う荷物の整理と引っ越し業者の選定

・一部荷物をトランクルームに保管することになりその契約

・引っ越しと荷物の廃棄

などなど、父の生活のダウンサイジングに伴うあれやこれやに取り組む日々。

やっと今週退院までこぎつけ、あとは住民票を移せば無事に一段落といったところです。

 

ここ1か月余りで感じたことは数々あり、「老いていく」という現実を再認識する日々でした。

父、85歳、母80歳から5年間暮らした部屋は、気が付けば立派な汚部屋に仕上がっており、怪しげな掛け軸や骨董品が出るわ、出るわ。

ネットオークションで、次々に「ポチリ」。

貯金を使い果たすまで買い続けた戦利品が押し入れに投げ込まれていました。

 

そして、5年前からの介護保険関係の書類や各種請求書などが山のように出てきました。

何が大切な書類で何が大切でないのかの判断ができずに、すべて溜め込んで保管しているつもり。

やがてどこに何があるのかなど全くわからなくなり、ゴミの山。

かと思えば、50年も前の、私が小学生だったころの通知表がヒョコッ出てくるというありさま。

押し入れやタンスの引き出しを開ければ、両親の頭と心の混乱状態がつぶさにわかるような気がしました。

 

何が必要で何が不必要なのかの判断がつかなくなり、捨てられない。

そして買っても買っても、買ったことを忘れてしまい買い続けて不要になったものを捨てられない。

家族も含めて上手に周りの人々との関係を育てていくことができなかった両親。

支援を受けるのも、とても下手でした。

 

さてさて、今回、父の転居先に持ち込める荷物は、小さなタンスとテレビ。そしてスーツケース1個分の衣類のみ。

結局最後に必要になるものは、たったこれだけ。

自分自身で管理できない荷物を増やしてはいけないとつくづく思ったのでした。

 

「断捨離」。

単に荷物を減らすというのではなく、自分にとって何が必要で何が不必要なのかを見極め、不必要なものをそぎ落とし、必要なものだけにエネルギーを注いでいく「生き方」のことだと理解しています。

物の断捨離。

人間関係の断捨離。

 

結局、今回の両親の荷物のかたずけを通して学んだことは、老いに向かう自分の生き方。

自分が心地よいと思える関係性を大切に育てながら、背伸びをせずに自分が本当にしたいと思うことを自分のペースで続けていこう。

そしてモノは極力増やさない。

モノは、結局のところゴミになるだけ。

自分が管理できないモノは、自分も人も幸せにはしない。

そんな当たり前のことを再認識したのでした。

 

自分に最期が訪れたその時に、廻りの人が困らないようにだけはしておきたい、そんな生き方がしたいと思っています。