ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

ダブルバインドをどう生きるか

昨日のブログ記事で、若いナースのコミュニケーション能力が低下したと認識されている背景、ダブルバインドについて書きました。

 

  

つまり、ナースが働く組織のなかでも、「仕事を効率化し、残業はしない」と指導される一方で、「患者さん・家族とはしっかりと向き合い丁寧に対応する」といった二つの一見、合い矛盾した指導や、「マニュアル遵守」を言われる一方で「マニュアルばかり頼らず自分で考えろ」と言われたり、「自分の意見を自由に発言して良い」と言われながら、「空気の読めない人だ」と叱責される、このようなダブルバインドが存在するのは確かです。

 こうした矛盾した状況のなかで、「どっちやねん?」と大いに戸惑い、そして寡黙になっていく若いナースも少なくはないでしょう。

 

このことについて、現場のナースの皆さんから、生の声が届きました。

「残業はダメ、でも、看護の質は落とさないでね」

「もっと効率的にやりなさい。でも、患者さんや家族の気持ちに寄り添ってね」

そんな一見、矛盾するメッセージに、現場の若手のナースたちは悩み、なかには疲れ果てて退職を希望する声も。

そして、それを現場に伝える中間管理職の方も、現場の混乱がわかるだけに悩んでおられました。

 

例えば子供の障害を伝えられた親御さんが、自らの気持ちを語り始めるには、さまざまな思いが言葉として結実するのを待つ時間がどうしても必要です。

気持ちを立て直し、行動に移すには、タイミングも必要です。

看護師が相手の思いに寄り添おうとする時、「あっ、すみません。私退勤時間なので。残業はできないんです」と切ることなどできるはずもないのに・・。

管理者側は、いつも私たち現場に無理難題を押し付ける。

そんな怒りにも似た理不尽な思いが現場には存在するように感じました。

考えてみれば皮肉なことです。本来はナースの労働環境の向上を目指すはず取り組みが、ナースの仕事に対する満足度をひょっとして低下させているのかもしれません。

 

さて、本題です。

平田オリザさんによれば、

こうした「ダブルバインド」は、成熟社会を迎えた日本では、どの組織、システムにもみられることだそうです。

医療のみならず看護教育に携わる人も、「自主性を育てたいと言いながら、実は学生に教員や現場のナースが求める答えを言わせようとしている」と話していました。

「上は何を考えているのか矛盾していて理解できない。現場を見ていない」と嘆き、「こんなところにはいられない」と転職しても、またその場で同じことが繰り返される。

それでは、私たちはこの苦しい状況をどう考え、切り抜けていけばよいのでしょうか。

まずは、「バブルバインド」は組織に身を置く以上、避けられないことであり、決して悪いことではないと受け入れる。

そこから始まると平田さんは強調しています。

 

平田さんから学んだことは、「対話」です。

平田さんは、対話をこのように定義しています。

 

 

「対話」 = あまり 親しく ない 人 同士 の 価値観 や 情報 の 交換。 あるいは 親しい 人 同士 でも、 価値観 が 異なる とき

 平田オリザ. わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) (Kindle の位置No.877-878). 講談社. Kindle 版.

 

つまり対話とは、Aという意見をもった人とBという意見をもった人が、情報の交換を行い、Cという共通の意見を形成すると考えてよさそうです。

「看護の質を下げずに効率化をはかるべき」という考えの人と、「そんなことはできない」と考える人が、お互いの考えの基になる情報を交換し合って、「それではこうしよう!」という合意を形成していく。このプロセスが対話です。

言葉にすれば、何でもないように感じますが、特に「同質な社会」である日本には、対話の文化が育っていないとのこと。

しかし、この対話のプロセスがうまく機能していないと、「押し付けられた」感や理不尽さなどの負の感情が募っていきますね。

 

例えばナースの時間短縮推進派と反対派というように、異なる立場、意見をもつ人がともに話し合い、検討し合って、新たなありかたを生み出していくのが対話ですが、それは理想であって、現場にはそんな時間も余裕もないというのが実感ではないでしょうか。

しかし実際に、管理者と現場のスタッフが話し合い、ナースの患者さんや家族と関わる時間を減らすことなく業務の改善に取り組んで、残業を大幅に減らしたという実体験も届いています。

 

こうした変化を生み出すには、お互いに自分の立場や意見に固執するのではなく、異なる立場や価値観をもった人と出会うことで自分の意見が変化していくことを潔しとする姿勢が不可欠ですね。

そして、お互いに、同じ立場ならわかってもらえると思うことを、虚しさに耐えて、諦めずに説明する能力が必要です。

平田さんは、前者を「対話的な精神」、後者を「対話の基礎体力」と呼んでいます。

 

 どこにいってもダブルバインドが避けられない以上、この世は矛盾に満ちていることを受け入れてどっしりと受け止め、諦めて流されるというのではなく、対話の基礎体力を発揮させ、対話的な精神で事に臨むことの大切さを感じました。

Aという意見とBという意見の二者が話し合い、AかBかに収束するのではなく、Cという新たなものを生み出していく。

ダブルバインドには、そんなチャンスも内包されていることを学びました。