ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

若いナースのコミュニケーション能力は低下しているのだろうか?

ここ数年、ナースの教育担当者から、「若いナースのコミュニケーション能力が年々低くなっている」という声をよく耳にするようになりました。

まず今どきの若者は、患者さんや家族と当たり前の世間話をすることが難しく、何かにつけて今一歩の踏み込みが足らないとというのが、教育担当者の悩みです。

例えば、患者さんが、

「まだ、食事は食べられませんか?」と尋ねてきた時に、

「そうですね、まだ絶食の指示が出ています」とだけ答える若いナースに、教育担当者は物足らなさを感じるといいます。

「お腹、すきましたか?点滴ではなく、口から食べたいですよね」と一言添えれば、患者さんの気持ちに寄り添うことができ、「空腹感が出てきたのは良いことですね、今はまだ絶食ですけど、(・・・のような経過を経て)少しづつ普通の食事が摂れるようになります。あともうひといきですよ」と伝えれば、患者に希望を与え、先の見通しを示して励ますこともできるのにと残念がります。

どのようにして彼らのコミュニケーション能力を高めたらよいのかとアドバイスを求められることもあり、そもそも「コミュニケーション能力とは何だろう?」と考えていたときに、知り合いから、一冊の本を勧められました。

 

平田オリザ著 わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か 

本書は、劇作家である平田氏によって述べられた、今という時代に求められるコミュニケーション能力の考察です。

そのなかに、こんな一文がありました。

 

  繰り返す。 子ども たち の コミュニケーション 能力 が 低下 し て いる わけ では ない。 しかし 年々、 社会 の 要求 する コミュニケーション 能力 は、 それ を 上回る 勢い で 高まっ て いっ て いる。 教育 の プログラム は、 それ に ついて行っていない。

 

 これをナースの状況に照らして考えてみると、

「若いナースのコミュニケーション能力が低下しているわけではない。しかし年々、医療現場で要求されるコミュニケーション能力はそれを上回る勢いで高まっている。教育のプログラムは、それについて行っていない」ということが言えそうです。

 

確かに、治療そのものが高度化・複雑化しているうえに、患者さんや家族の価値観もライフスタイルも多様化しています。医療サービスをどこまで受け、どこでどのように最期を迎えるのかといった意思決定支援が重要な課題になり、しかも、チーム医療、多機関・多職種連携により、コミュニケーションの回路はより複雑になっています。

 

ナースの対象は性別、国籍、人種を超え、乳幼児から超高齢者まで。健康な方から終末期に至る方まで、あらゆる健康レベルの方とコミュニケーションをはかる職種だということを考えると、最も幅広いコミュニケーション能力が求められる職種のひとつだといえるのではないでしょうか。

 

このように、ナースに求められるコミュニケーション能力が低下しているかに思えるのは、医療減現場で求められるコミュニケーション能力がどんどんと高くなっていることに加え、どうやら彼らが働く企業、つまり病院側の要因もありそうです。

 平田さんは先の著書のなかでこう指摘しています。

 

結論 から 先 に 言っ て しまえ ば、 いま、 企業 が 求める コミュニケーション 能力 は、 完全 に ダブルバインド

ダブルバインド( 二重 拘束) の 状態 に ある。ダブルバインド とは、 簡単 に 言え ば 二つ の 矛盾 し た コマンド( 特に 否定的 な コマンド) が 強制 さ れ て いる 状態 を 言う。 たとえば、「 我が 社 は、 社員 の 自主 性 を 重んじる」 と 常日頃 言わ れ、 あるいは、 何 かの 案件 について 相談 に 行く と「 そんな こと も 自分 で 判断 できん のか! いちいち 相談 に 来る な」 と 言わ れ ながら、 いったん 事故 が 起こる と、「 重要 な 案件 は、 なん でも きちんと 上司 に 報告 しろ。 なんで 相談 し なかっ た ん だ」 と 怒ら れる。 この よう な 偏っ た コミュニケーション が 続く 状態 を、 心理学 用語 で ダブルバインド と 呼ぶ。

平田オリザ. わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) (Kindle の位置No.103-104). 講談社. Kindle 版.

 

 つまり、ナースが働く組織のなかでも、「仕事を効率化し、残業はしない」と指導される一方で、「患者さん・家族とはしっかりと向き合い丁寧に対応する」といった二つの一見、合い矛盾した指導や、「マニュアル遵守」を言われる一方で「マニュアルばかり頼らず自分で考えろ」と言われたり、「自分の意見を自由に発言して良い」と言われながら、「空気の読めない人だ」と叱責される、このようなダブルバインドが存在するのは確かです。

こうした矛盾した状況のなかで、「どっちやねん?」と大いに戸惑い、そして寡黙になっていく若いナースも少なくはないでしょう。

 

そして、平田さんによれば、成長型から成熟型に変貌を遂げた今の日本では、このダブルバインドがあらゆる組織、システムに広がっていて、ダブルバインドは必ずしも悪いことではないというのが氏の意見です。

だとすれば、組織のダブルバインドを非難し、寡黙になるのではなく、この状況と向き合っていく他はなさそうです。

 

「最近の若いナースのコミュニケーション能力は・・・」という現場の嘆きを、どう受け止めて改善につなげていくのか、この本から重要な示唆を得ました。

 

・彼らのコミュニケーション能力が低下しているわけではなく、医療現場で求められる水準が著しく高くなっていること

・組織に広がるダブルバインドが、彼らのコミュニケーションに影響を及ぼしていること

・今後ますますダブルバインドと向き合い、分かり合えないことを前提に対話を続ける基礎体力をどう養うかが重要であること

 

広く部下や上司とのコミュニケーションに悩む方々にお勧めしたい1冊です。