90歳、ケアスタッフに向けた私のトリセツ
昨日のブログで、もしも自分が高齢者ケア施設に入ったらどんなケアを受けたいかを考えてみました。
そうそう、あれもこれも・・。
考えているうちに、私自身、かなり高い確率で高齢者ケア施設にお世話になるのではないかと思えてきました。
「自宅で最期を」という流れの一方で、自分自身はどうしたいのかを考えてみると、「慣れ親しんだ家具や物、自宅という特別な空間」に自分はさほどの強い愛着がないことに気づきました。
それよりも、人の気配やぬくもり、温かさに包まれて生涯を閉じたい。
そのためにも、スタッフに上手にケアを受けられる高齢者にならなければなりません。
そこで、90歳の自分を想定しつつ、スタッフに向けた私のトリセツを考えてみました。
90歳を過ぎ、自分の気持ちをうまく言葉で伝えられなくなっているかも知れません。
そんな時、このトリセツが役に立ちますように!
<90歳 〇〇〇子 スタッフの皆さんへ>
①あなたの目の前には、大勢のケアすべき高齢者がいることでしょう。皆、「高齢者」であり、「利用者」ではありますが、私は他でもない唯一無二の私という存在です。スタッフの方は、他ならない「私」という存在に関心を向け続けてください。
②私は、込み入ったことを判断することが難しくなっています。ただ、だからといって自分のことなのに自分抜きで物事が決まっていくのは人としてとても悲しいし、情けないです。私のことを、私がいないところで決めないでください。
③私は認知症かも知れません。ただ、何が好きで何が嫌いか、今、ジュースが飲みたいのかお茶が欲しいのかはわかるときもあります。年だから、認知症だからといって、日々の小さな楽しみを自分らしく調える幸せを取り上げないでください。
④私は、もはやうまく身体の状況を言葉で伝えられません。特に具合が悪い時はなおさらです。だから、常に「苦痛があるのではないか」という視点で注意深く私を見つめてください。そして「歳だから仕方がない」というのではなく、苦痛が少しでも軽減できるような工夫をどうぞ続けてください。
⑤私にはいくつもの持病があり、長らく薬を飲み続けています。でも最近になって、その薬も管理できなくなってきました。いろいろと症状も出てくると思いますが、そうした身体の細やかな変化に気づいて迅速に対応してくださる方が側にいるととても安心できます。
⑥自分自身、とても心配していることがあります。それは、何度説明を受けても、急にベッドから立ち上がって危険な行為を繰り返したり、外に出たがったり、入浴を拒んだり、大声を出したり・・。ひょっとしたらスタッフを困らせるような、そんなことがあるかも知れません。ただ、きっとその時々で、私には私なりの「そうせざるを得ない何か」、伝えたい何かがきっとあるように思うのです。どうぞ、それが何なのかを根気強く考えてはいただけないでしょうか。「私」という人間に関心を向けずに業務を優先するあまり、縛られるようなことがもしもあったとしたら、自分にはそれでもなお生きていく力があるかどうか自信がありません。
⑦家族も私が年老いたことで、先々のことを心配し、心を痛めています。家族の気持ちを癒し、元気づけるのは、私が皆さんから充分なケアを受け、満ち足りた日々を過ごしていると家族が実感することです。どうぞ私の家族とスタッフの皆さんが、より良い関係のもと、コミュニケーションがはかれることを願っています。
⑧私は、この世で授かった身体を使いきり、生き切った末にあの世にいくのはとても自然なことだと思っています。死も日常の一部、当たり前のことだと考えていますから、機械につながれて生きたくはないと思っています。ただ、その時々で気持ちは揺れるので、私が揺れる気持ちを話したときには、どうぞ「死」の話題を避けないで話し相手になってください。あなたに話しながら、私自身がきっとその時々の答えを見つけていけるのだと思います。
これから年齢を重ねるに従い、きっと気持ちも変わってくると思います。
時々見直しては、修正したいと思います。
ところで、こんなややこしいことを並べるおばあさんを受け入れてくれる場所はあるのでしょうか?
少し心配にもなってきました。