漁師町のマダムから学ぶ「患者と医師」との関係性
11月も中旬に差し掛かろうとしているというのに、日中、少し動けば汗ばむような暖かさ。
当地では、「なんや温うて、気持ち悪いなぁー」
そんな言葉が挨拶がわりになっています。
昨日の、地元の「美人の湯」を売り物にする温泉でのヒトコマ。
週に数回利用するこの温泉。
常連のおばちゃんたちとは、すっかり顔見知りです。
地元のマダムたちに集中する話題は、やはり「病気」、「年金」、「お墓」。
そのなかでも、何といってもダントツ1位は、「病気」のこと。
昨日もサウナで、一人のおばちゃんが「ジムに通ってからだいぶ腰がようなったわ」と語り始めました。
漁師町で生まれ育ったAさんは、腰痛に長らく苦しめられてきたといいます。
Aさんは、「そりゃ、大変でしたね」という相槌に気をよくしたのか、腰痛との闘いの日々を雄弁に語り始めたのでした。
そのなかでも少々ビックリしたのは、Aさんと医師との会話。
「どうや?ってせんせが聞くねんけど、少しもようなってないねん。」
「ふんふん、それで?」
「ほんなときは、せんせ、あかん。こんなん、いやや。少しもようならへん!」って正直に言うねん。
「ほー、それで?」
「ほしたらなぁ、あかんかぁ。ようならんかぁ」って。
「あかんわぁ、せんせ、ちゃんと治してよ」ってこうよ。厚かましいやろ?ほんでも、こっちも必死やさかいに、真剣よ」
「せんせ、どないしたらようなるか、なにしたらええのか、教えてよって私も言うたのよ。治してもらうばっかりじゃのうて、患者も自分でできることは自分でせないかんよってに。ほしたら、「運動して筋力をつけなさい」って言われて、ほんでジムに通い出したら、自分でもびっくりするほどようなってなぁ・・。
ここまでの下りに到達するまでの長いこと。
サウナという個室に二人だけ。お互い、流れる汗をものともせずに12分。
12分、人の話しをしかり聞けば、かなりのことがわかってくるものだとにんまりしながら今度は水風呂へ。
とにかく当地の医師と患者との関係性には、軽いカルチャーショックを受けるほどフランクです。
特に当地の漁師町や農家で生まれ育った方々には、基本、「権力には低姿勢」という発想がないようです。
都会ならば見慣れた、まず診察室に入った患者が丁重におじぎをする光景も、当地ではほとんどないとのこと。
「せんせにお辞儀してどないするん?」と顔を見合わせるマダムたち。
「そりゃ、挨拶はするで。挨拶はするけど、そないに丁寧にお辞儀なんかせえへんよー。医者と患者やけど、人間同士やんか。もちろん失礼なことはせえへんけど、そないに持ち上げてどないするん?」とあくまでも人間平等説。
ふと頭に浮かんだのは、現在がん闘病中の友人。
主治医とのコミュニケーションがおよそ困難で、受診が大きなストレスになっているとのこと。
途中で「だからなんですか?」と話しを不機嫌そうに断ち切る主治医に、聞きたいことの半分も聞けないといいます。
こんな主治医に当たったら、当地のマダムは何と反応するのでしょうか。
「せんせ、今日はなんや機嫌がわるいんかいな。私の話し、しっかり聞いてよ。」
「せんせ、患者の話し、ちゃんと聞かなんだら、仕事にならんとちゃうの?」
「まずせんせの仕事は、患者の訴えをしっかり聞く、そこからやんか、なぁ!」
そんな展開も十分にあり得る話しです。
船底、戸板一枚挟んで常に生死と隣り合わせ。
荒れた海の上でも、頼れるのは結局は自分ひとり。
そんな漁師と長年寄り添うおかみさんは、誰に対しても「媚びる」ということがありません。
私は、彼女たちから改めて「人と人の在り方」の原点を学んでいます。