ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

過酷な現場、不機嫌なナース、にもかかわらずの希望

これは、脳梗塞で倒れた母が、急性期病院のある病棟に入院していたときの出来事である。

その病院は、ベッド数600床の地域の中核病院。市民が信頼を寄せる自治体立の病院であった。

病棟には、母と同様、脳卒中の発作を起こした患者が多く入院しており、人工呼吸器をつけた患者も相当数おられた記憶がある。

患者のほとんどは意識障害があり、生活のほぼ大半に介助が必要な方々であった。

ナースは、一日数回の検温やオムツ交換、体位交換、数々の処置に追われ、飛び回っているという印象。

夜間ともなると、何か尋ねたくてもナースステションには誰もおらず、やっとつかまえ話しをするそばナースコールが。

話をしている彼らの表情からは、「手短にお願いします」というメッセージがはっきりと読み取れた。

 

それは、クリスマスも近づいた土曜日の午後7時近く。日勤のナースが業務の最終確認をして、引きあげる間際のこと。

突然、病棟中央のトイレからナースの悲鳴が聞こえてきた。

 

「〇〇さん、どうして立っておしっこするの!ズボンがビショビショじゃない。どうするの、もうズボンの替えがないんだよぉ~。」

「いつも言ってるじゃない、おしっこは、座ってしてよ。頼むから。もう、ホントに、ズボンの替えがないんだよ!〇〇さん、わかってるの?!」

「やだなぁ、もう・・・」

 

聞こえるのは、20代後半かと見受けられるナースのヒステリックな声ばかりで叱責されている患者さんは、無言。

思わず顔を見合わせた面会に来ていた隣のベッドの奥さんは、「男の人は立っておしっこしたいのよ」とポツリ。そして、「家族でもあんなに怒ったりしないのにね」と。

 

その80歳代と思しき男性の患者さんは、母とほぼ同年代。戦前に生を受け、戦中の過酷な記憶を胸に留めつつ、戦後を生きてきた人である。

家族を支え、会社を支え、日本経済を支えてきたその人が、孫のような若いナースにこのような辛い仕打ちを受けるとは。

隣の奥さんは、「あああ、歳は取りたくないわね」そう呟いた。

 

午後7時を回るこの時間帯。日勤のナースの疲労がピークを迎えるころだろうか。

ひょっとしたら退勤後、彼氏とデートの約束があり時間を気にしていたのかも。

あまりの激務で燃え尽きつつあったのかも知れない。

しかしどんな理由があるにせよ、ナースが患者さんの尊厳をひどく傷つけたのは明白であり、看護師としてあってはならない態度だったと思う。

あの場に、もし患者さんのご家族がいたら、どんなに辛い思いをしたことだろう。父や夫が病を得て入院したその先で、このような扱いを受けたらと想像するだけで胸が苦しくなった。

病棟には、「患者さまの人権を尊重し・・・」と病院の理念が掲げられていた。それが空々しく、むなしく、哀しく映った。

 

母はその病棟に3か月間お世話になった。

晩年の母は、レビー小体型認知症という病を得て表情も険しく、心定まらぬ日々もあったが、なぜか脳梗塞の発作後はつきものが落ちたように穏やかになった。

ナースが訪室するたびに、ミトンをつけた両手を差し出し、「あ・り・が・と」と必死に言葉を絞りだした。

母の名はゆり子。

「ゆり子さんのところに来るといやされるぅ~」と病棟の戦士たちはよく口々に言い、退院の見送りの際には、受け持ち看護師が、「寂しくなります。ゆり子さんは癒しの存在だったから」と涙ぐんだ。

そう言ってもらえることは嬉しかったが、姉は、「それは逆で患者を癒すのがナースではないか」と少々憤慨しているようだった。

 

それだけ過酷な病棟だということなのだろう。

今思い出しても、ナースの表情はほぼ一様に硬く、皆が不機嫌に見えた。数人のナースを除いては、気軽に声がかけられる感じではなかった。

「不機嫌は連鎖する」そんなフレーズが頭に浮かんだ。まさにそんな病棟だった。

 

あれから約2年。あの光景は、まだ私のなかで消えることなく記憶に刻み込まれている。ショックだった。切なかった。

患者さんもお気の毒だったが、ナースも可哀そうでならない。

学校を卒業して国家試験にも無事合格。きっと希望にもえて現場に出たことだろう。

当初は「心優しく患者さんに寄り添う看護」を目指していたに違いない。

数年後、自分が病棟のトイレで麻痺のある高齢患者さんをヒステリックに怒鳴りつけるなんて、きっと想像だにしなかったに違いない。

それを思うと、本当にいたたまれない気持ちになる。

 

そんなとき、緩和ケア病棟に勤務するあるナースが近況を寄せてくれた。

年間、200人の方を看取る現場では、自分の尿意を意識することさえ忘れるほどの過酷さだとか。

「忙しさに負けないで」と自分を励ませば、いつしか尿意さえも忘れてしまうということだろうか。

「無理はしない」「無理はいけない」とよく口にする彼女。

現場の課題は目につくけれど、だからといってどんどん前には進めない現状を痛いほどわかっている彼女の言葉は重い。

 

誰しもが大きな希望と期待を胸に看護師にはなるけれど、残念ながら少なからず「どうして私は看護師になったんだろう」と思わざるを得ない現状がそこにはある。

病棟や病院システム、もっと言えば、診療報酬に象徴される行政システム、さらには背景にある少子高齢・人口急減社会。

ありとあらゆる個人のナースではどうにもならない問題が幾重にも折り重なって、ある病院、病棟の夜の光景がつくられる。

 

「現場が病んでいる」「ナースの腕が落ちた」そんな言葉もよく目にし、自分自身の実体験からもそれを実感していた私は、どこか重苦しい気分を抱えていた。

そんななか迎えたある家族看護の研修。

2日間の研修日程であったが、両日ともに1時間ほど個別相談の時間を設けた。

「もし、事例のことでご相談がある方はどうぞ」そんな呼びかけに、両日ともに予想外の列ができた。

相談内容はそれぞれ。「えっ?そんなことが・・・」と少々驚くようなエピソードの連続。

生・老・病・死のめまぐるしいドラマが展開されるなかで、相談に訪れたナースたちは、誰もが真剣に悩んでいた。こうした現状を、そして未熟な自分を何とかしたいと思っていた。

 

2日間の研修は、私に大きな希望を与えてくれるものとなった。

過酷な臨床現場のなかで、燃え尽きそうになる自分を何とかなだめつつ、それでも事例の相談に来る彼らたち。

もっとスキルを磨きたい、アセスメントできる自分になりたいと目を輝かせる彼らたち。

「ナースの質が低下している疑惑」を覆すことにつながる一筋の道が見えたような気がした。

 

歯止めがかからない人口減少、少子高齢化。慢性的な人手不足。看護の現場は、ますます過酷なものとなっていくだろう。

現実は厳しい。しかし、より良い看護を求めて前に進みたいというナースのパワーは決して弱まってはいないのではないか。

彼らのこのパワーを大事に育てていくためには、何といってもケアする人のケアが不可欠である。

そして、「ケアする人のケア」をしたいと思っている私自身が、結局はいつもナースにパワーをもらっている。

それを実感する日々である。

 

 

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