看護師と医師との関係性
昨日、親戚のお見舞いに行ってきました。
患者さんは90歳。
10日前に誤嚥性肺炎で倒れ、救急搬送されたそうです。
1週間というもの、38度後半の熱が続き、酸素を吸入しつつ点滴やモニターにつながれる日々。
一時は、危険な状態と伝えられ、家族が病室に呼ばれたこともあったようです。
ところが、3日ほど前から熱が下がりはじめ、酸素もいらないほどに回復したとのこと。
言語療法士の嚥下訓練と理学療法士によるリハビリも始まったそうです。
90歳の超高齢者には過酷すぎる10日間の闘い。
二回りほど小さくなった印象ですが、それでも意識ははっきり。
「ここから頑張らなくちゃなぁ・・」などと話していました。
そこへ、たまたま主治医が。
主治医は、医師としては駆け出しかと思われる若い先生でした。
ベッドサイドで、少し気分が高揚したように、「いや~、〇〇さん、今朝の検査の結果も良くなっていますよ」と本人に話しかけ、「ここまで良くなるとは・・・、これは奇跡に近いです。よく頑張られましたねぇ」と。
本人は、「ありがとうございます」と神妙にお礼を伝え、家族は、「ここまで良くなったのは先生のおかげです」と深々と頭を下げました。
するとその若い主治医は、
「いえいえ、看護師さんもみんな頑張ってくれて・・。身体の向きを何回も変えて痰が出るようにしたのが良かったんだと思います。〇〇さんは辛かったと思いますが、昼間も夜中も看護師さんが痰を取ってくれましたからね。これは、チームの勝利です」
そう話し、「良かった、良かった」と立ち去っていきました。
側にいた家族は、「いや~、なんていい先生なの。さわやか系だね」とにっこり。
私も、感慨深いものがありました。
というのは、看護師は長らく「behind the curtain」、つまり常にカーテンの後ろに隠れる存在で、縁の下の力持ち。
重要な役割を果たしながらも、ほとんど前に出ることのない存在として認識され、自分たちもそれに甘んじていました。
夜通し患者さんの身体から発せられるサインに耳を澄ませ、身体をさすり、少しでも楽に過ごせるよう身体の位置を整え、不安や苛立ちを受け止める。
時にはご家族の悩みや悲しみに耳を傾け、大切な時には背中を押す。
そんな役割を果たしつつも、患者さんもご家族も、「良くなったのは先生のおかげ」。
看護師たちも、自分たちが裏方の存在であることを当然だと受け止めていたように思います。
ところが、チーム医療の考え方が浸透し、医師を頂点としたヒエラルキーではなく、患者さん・ご家族を中心とした横並びのチームへと医療は変化を遂げました。
ただ、チーム医療を実現させるためには、互いの専門性に対する敬意が不可欠です。
互いにリスペクトし合う関係性が築けるかどうかが大きな鍵になるような気がします。
今、大多数の病院がチーム医療を唱っています。ただ、唱ってはいても、職種間の関係性がギクシャクしていると、患者や家族にはよくわかるものです。
これまで、自治体立や大学、私立病院で患者の家族の立場を体験してきましたが、残念ながら特に医師と看護師との関係において「ああ、これがまさに横並びのチーム医療だ」としみじみと感じたことはありませんでした。
そういう意味で、昨日の医師の発言は新鮮でした。
まだまだ、医師を中心とした封建的な風土が色濃く残っているという話しも聞きますが、時代は確実に変わったこと。
若い医師も看護師も、横並びの関係でチームに育てられ、またチームも育っていくこと。
それを実感し、足取りも軽く病室を後にしたのでした。
ケアする人こそケアされなければならないと痛感した日
昨日、父が入院する前に生活していたサービス付き高齢者住宅に立ち寄りました。
用事を済ませ、ホールでエレベーターを待っていると、80歳代後半と思しきご婦人が話しかけてきました。
「私、まだお食事いただいていないんですけど・・」
白髪のその人は、本当に困ったという表情。
「そうですか・・、スタッフの方にお話ししてみましょうか」
そう応え、エレベーターで階下までご一緒しました。
実はその方と私は、何度か顔を合わせています。
いつも、「お食事、いただいていないんですけど・・」とお困り顔。
認知症とともにある彼女は、四六時中空腹感を抱えているようでした。
何か落ち着かないような表情のそのご婦人をヘルパーステーションにお連れしたところ、その前で一人の女性の介護士さんとバッタリ。
介護士さんは、40代前半でしょうか。
早速、彼女が「あのぉ・・、私、お食事いただいていないんですけど」と訴えると、その声が終るか終わらないうちから、介護士さんの表情はみるみる引きつり・・。
そして、腰の曲がったその人を見下ろすように、
「あのね、さっき、た・べ・ま・し・たっ!」
「薬も、の・み・ま・し・たっ!」
と、かなりの剣幕でした。
一音一音区切り、吐き捨てるようなヒステリックな物言いに、正直驚いてしまいました。
介護士さんの言葉からは、明らかな怒りが感じとれたのです。
ところが当のご婦人は、
「そうですか?だって、私、お腹がすいているんです。食べてないと思うけど・・」と譲りません。
介護士さんは、「ホント、これだからイヤになる」といううんざりした表情で、今度は無言。そしてその方の手を引いて、お部屋の方向に歩いていかれました。
認知症の方は、認知機能は衰えても最後まで感情は残ること、決して自尊心を傷つけてはならいこと。
きっと、耳にタコができるほど聞いておられるでしょう。
わかってはいても、毎日毎日、何度も何度も同じ訴えが続くことに、介護する側は抑えようのない苛立ちが募ってくるようでした。
介護士さんの尖った声に、何か追い詰められた余裕のなさや疲弊感を感じました。
「もうムリ!限界!」
約6年後の2025年には、認知症の方が730万人になるという推計もあるとか。
医療も福祉も、大変な人手不足。
ケアを必要とする人ばかりが増え、ケアする人がどんどんと職場を去って行く。
そんな図式で、どうやって超高齢社会を乗り切っていくのでしょう。
介護にあたるご家族はもちろんのこと、職種にかかわらず、ケアする人がケアされる世の中でなければならない。
本気で皆が支え合い、辛い胸の内を打ち明けて認め合い、繋がらなければならないと改めて痛感した一日でした。
良いナースのひとつの条件
前回に引き続き、浜田晋先生のご著書から。
白内障の手術をしてくださった、まだ若い女医さんからこんなことを言われた。「ものがはっきり見えだしたといって、読書やご執筆をあまりやり過ぎないでください。レンズはしょせん"もの”にしかすぎませんから、水晶体のように厚くなったり薄くなったり自然の調節することができません。眼鏡で若干の調節はできますが、白内障が治ったのではありません。お疲れになるのは当然のことです」と。
先生はこのように続けています。
書店へ行くと「名医(専門別)」の一覧表がたくさんでている。だいたい大学や大病院の医長先生の名前が書いてあるが、私は全くそんなものを信用しない。タイムリーに腑に落ちる言葉数の多い先生が良い先生だと思っている。 手術や診断がうまいだけでは医者はだめである。患者が先生の言葉でほっとすることが大切なのである。
白内障の手術をしたものの、期待したように見えず、不安を募らせていた先生。
白内障の治療で入れたレンズは、つまるところ”もの”だと説明を受け、なるほどと納得なさったそうです。
名医の条件は、手術や診断だけでなくなく、「言葉」もそのひとつだというのが浜田先生の主張です。
先生がおっしゃっているのは「医師」についてですが、これはナースにも言えることではないでしょうか。
ナースに言い換えてみると、「タイムリーに腑に落ちる言葉数の多いナースが良いナース」ということになりますね。
そして、「手技やアセスメントがうまいだけではナースはだめである。患者がナースの言葉でほっとすることが大切なのである」と。
腑に落ちる言葉を持ち、しかもそれはタイムリーでなければならない。
大きく頷きました。
腑に落ちる言葉・・、それは状況によって意味合いも異なるでしょうが、ひとつは比喩を上手に使うことが大切だと常々思っています。
「例え話の名人になる」ということです。
「つまり、例えていうとこういうことなんです・・。」
現象の本質をうまくつかまえ、かつ誰もがイメージしやすい例え話の引き出しをたくさんもつ。
しかも、それをタイムリーに駆使するためには、日ごろから「何かに例える」ことに意識的にトライすることが有効であるように思います。
相手のもやもやしていた胸の内が、「ああ、そうことなのか」と合点がいきストンと腑に落ちる。
ナースとして、そんな「言葉の力」を身に着けたいものですね。
それにしても、浜田先生のご著書にように、現場のナースが読んでストンと腑に落ちる示唆に満ち、平易な言葉で語りかけてくる書籍となかなか出会わなくなってしまいました。
研究論文や専門書とは異なるいわゆる「読み物」。
当たり前の言葉で当たり前に看護を語りたい。
8年前に出版された本を読み返しながら改めて思ったのでした。
浜田晋先生の「忘れられない一人のナース」
浜田晋先生をご存知でしょうか?
ご存命であれば、今年で92歳。残念ながら、8年前に他界されました。
1974年から東京の下町で精神科のクリニックを開業し、長年地域精神医療に尽力された方です。
先生のことを初めて知ったのは、私がまだ小さな農村で保健師をしていたころのことでした。
精神障害とともにある方とのかかわりで悩んでいたころ、保健師雑誌かなにかで先生のことを知りました。
先生の患者さんとのやりとり、そして人々の暮らしをみつめるあたたかな眼差しに惹かれ、毎月の連載を楽しみにしていたものです。
そんな先生のご著書のなかから、ある一文が目に留まりました。
それは先生が晩年になって(2010年)出版されたご本の一文です。
長くなりますが、引用させていただきますね。
忘れられない一人のナース(「看護師」という言葉を私は好まない)のことに触れておこう。
ある夜、私は高熱にうなされ、痛みのために眠れなかった。一滴ずつおちる点滴(今の私にとっては命の水)を眺め、不思議な思いにひたっていた。そろそろ次の点滴液にとりかえる時が来ていた。私はおそるおそるナースコールを押した(この時間帯は病棟にナースが二人、多忙な時である)。そして来たのが一人のナース。「点滴をかえる時間ですね」とすでに準備してきている。「いかがですか?」と私の身体に触れた。「いけない!汗びっしょりじゃあないですか。すぐ着替えましょう」と部屋を出た。「今すぐ処置しますから」と、熱いタオルで私の全身を拭き始めた。なかでも背中をごしごしごしごし、その手は力強かった。胸から腕から脚までやさしく拭いてくれた。手早かった。これは職人の手の動きである。とにかくすばやい。要領がよい。
もちろん、この病院のナースは知的である。私の知る昔のナースとはちがう。生きた知識をもっていて、とても若い医者は太刀打ちできない。しかしこの女性はさらに一味ちがう。とにかく力強く、そしてやさしい。その力が私のからだ中に心地よくしみこんでいった。
岩波書店 浜田晋 「老いるについて 下町精神科医晩年の記」138
この場面は、82歳の浜田先生が急性胆嚢炎で2週間、都心の病院に入院した時のエピソードです。
高熱と痛みで朦朧とするなか、おそるおそるナースコールを押した先生。
そこにやってきた一人のナース。
身体に触れて、すぐさま熱いタオルで背中をごしごしごしごし(なんと4回!)。
力強く拭き、胸から脚はやさしく、手早く、そして要領良く。
そのナースの力がからだに心地よく染み込んでいったとか。
都心の病院の夜の病室は、四六時中救急車のサイレンが鳴り響き、薄暗い廊下から漏れるわずかな灯りは、いっそう病む人を心細くさせます。
「汗をかいて・・」と訴えなくても、身体に触れ、「これはいけない!」とすぐに熱いタオルをもってきてくれたナース。
タオル越しに感じるナースの力強く、そしてやさしい力の入れ方、疲れさせないように要領よく動かすタオルの扱い方に、「職人の手」を感じたとのこと。
この夜、浜田先生は、一人のナースになにか救われた思いをなさったのではないでしょうか。
なにも、長いかかわりがあったわけではありません。
たった一晩の、たった一回のかかわり。
まさにワンチャンス。
その短いかかわりでも、「忘れられないナース」として長く人の記憶にとどまるのが看護という仕事なのですね。
シンプルに、看護のもつ力を浜田先生から教えていただきました。
看護という仕事を何十年続けていても、目の前の患者さんは初めて出会う人。
常に緊張感をもって仕事に当たりたいとおっしゃっていた先輩を、しみじみと思い出しました。
第2回、ファシリテーター養成コース修了生の交流会を開催しました!
今回も好天に恵まれた昨日、神戸で第2回目の家族ケア研究所ファシリテーター養成コース修了生の交流会を開催しました。
お越しくださったのは、18名の方々。
夜行バスに揺られ、始発に飛び乗り、仲間との再会を果たしに、お越しくださいました。
皆さんのご了解を得て、写真を掲載させていただきますね。
午前中の近況報告では、空白の5~10年について涙なくしては語れないお話しも。
医療・福祉現場においても、教育現場においても、ゆとりを欠き、ますます厳しさを増す環境のなかで、それぞれが精いっぱい奮闘しておられる・・・、一人ひとりのお話に、深い共感が生まれていました。
「言いっぱなし、聞きっぱなし」
何を言おうとも否定も非難もされず、守られた環境のなかで自由に発言でき、共感をもって受けとめられる・・。
そんな場の有難さを、またまた確認したひとときでした。
そして午後は、「渡辺式」家族アセスメント/支援モデルを用いた事例検討会。
ファシリテーターを務めて下さったのは、家族支援CNSの松本修一(まつもとのぶかず)さん。
いや~!
見事なファシリテーションで、皆さんが安心して彼の進行に身を任せ、事例にどんどんと深く向き合っていくプロセスがとってもよく見えました。
メンバーは、病棟勤務のナースの他、退院調整部門や相談室、福祉、教育に携わる方、また、産業保健や今はリタイアされた方など多彩な顔触れ。
検討したのは急性期病棟の事例でしたが、さまざまな体験を重ねたメンバーによる多角的な物の見方が、事例への理解の幅を拡げてくれました。
誰ひとりとして黙っちゃいない。
とにかく、話し、受け止め、頷き、また考える。
そんな楽しい充実した時間をご一緒させていただきました。
みんなの意見が尊重され、皆がプチヒーロー!
そんな事例検討のもつ力が、如何なく発揮された3時間でした。
2月23日(土)には、滋賀県守山市で松本さんのファシリテートによる「渡辺式」家族看護事例検討会が開催されるとのこと。
合言葉は、「次回は滋賀で近江ビーフを!」
詳細が決まり次第、このブログでもお伝えしますね。
参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました!
またお目にかかれますね。
再会を楽しみにしています。
成熟した人格を導く良好な人間関係とは
何ということでしょう。
12月に入ったというのに、少し動けば汗ばむような温かさ。
地域のご婦人たちは皆、
「いや~、ぬくうてなんや気持ち悪いなぁ。長いことここに居てるけど、こんなぬくい冬は生まれてはじめてやでぇ・・」と口々に言い合っています。
明日は、気温がぐっと下がるとか。
週末にかけて、気温が不安定のようですね。
皆さまも、どうぞ体調管理にご留意くださいませ。
さて、昨日、元女子マラソン選手が、厳しい練習と体重管理の末に摂食障害を発症し、病的窃盗症を合併したというニュースを耳にしました。
1日に4~6回の体重測定を命じられ、食事も間食も厳しく制限され、現役中には8回の疲労骨折を経験したそうです。
好きで好きでたまらなかった「走ること」が、次第に苦痛になり、指導者に怒られないために仕方なく走り、仕方なく体重制限を守る。
そんな数年間ののちに、「食べ吐き」が常態化し、摂食障害を発症しました。
「食べたいのに食べられない」という強いストレスを抱えながら、それを周囲に打ち明けることさえ許されず、周囲には常に「最高に頑張っている自分」を演じていなければならない孤独感、疲弊感はいかばかりだったでしょう。
自分のこころを、自分の身体を、自分の魂を、これからは自分自身で大切にしてあげられる人生を歩んで欲しいと願い、応援したくなりました。
そんな彼女のことがなぜ心に残ったのかというと、実は、コミュニケーションと対人関係に関する研修のご依頼をいただき、このところ、「(境界)バウンダリー」のことをよく考えます。
バウンダリーとは、人と人との間にある文字通り「境界線」。
この境界線をお互いにしっかりと守り、不用意に相手の領域に侵入せず、適度な距離を保っている場合には、良好な人間関係が築けます。
ところが、境界線を飛び越えて相手の領域に侵入し、相手をコントロールしてしまったり、相手の侵入に困ってはいても、「良い上司・部下」「良い夫・妻」「良い子」であろうとするあまり、「ノー」が言えずに自分自身を大切にできないでいるとさまざまな綻びが生じます。
元マラソン選手と指導者の関係性は、指導者が「彼女を強くする」という大義名分のもとに境界を飛び越えて彼女を支配し、「支配ー被支配」の関係性にあったのではないでしょうか。
頑張っても頑張っても指導者や世間の期待に応えきれていないという思いは募り、努力の陰で彼女の自己肯定感はどんどん低くなっていったように思います。
マラソンを辞めてもなお彼女が摂食障害や窃盗症に悩まされていたことを考えると、人生の早い段階で、人間性や人権を否定されるような強い支配を受けると、そこから立ち直るのがいかに容易ではないかがわかります。
人と人との間にあるバウンダリー(境界線)を飛び越えて侵入するという行為は、大きく言えば人権問題であり、倫理的な課題を含むものです。
その人の感情や態度や信念、そして選択、価値観、これらはすべてその人のものです。
周囲の人間は、その人の態度や信念、選択が変化するような影響を与え続けることはできても、それを変えることはできないこと、そして成熟した人格を導く良好な人間関係は、いつでも「ノー」と言い合える関係性のもとに成り立つことを忘れないようにしたいと思います。
それにしても、ご本人が、「周囲の人々に迷惑をかけた・・、周囲の人々、同じ病気の人の役に立つ生き方がしたい」と強調されているのが少々気になります。
周囲の人々や世間の人なんてどうでもいい!
あなた自身が他でもないあなた自身を一番大切に守っていける人生を歩んで欲しいと願わずにはいられません。
交流会という名の自助グループ
今日から12月ですね。
年々、月日が経つのが早く感じられ、それはもう怖いほど。
「ああ、一生では足りない・・」
何といっても、「今日という日が一番若い」のですから、一日一日を大切にしなければと今更ながら思う今日この頃です。
さてさて、先月、前家族ケア研究所時代の会員さんの交流会を開催したことは、このブログでもご報告しました。
実は、少し前に、ご参加くださった方からメールを頂戴しました。
そのなかで、仲間との「近況報告会」のことが触れられていました。
「職場ではなかなか言えないことも、あの場では驚くほど自然に言葉に出せ、ただ黙って頷いてくれる、合いづちを打ってくれる仲間のあたたかさに触れて、元気をいただきました」
そうメールには綴られていました。
自由に自分を語るもよし、語らないもよし。
誰からも非難されない、攻撃されない安全な場での「言いっぱなし、聞きっぱなし」。
まさに、「自助グループ」ですね。
ある参加者は、「ここには愛がある」とつぶやきました。
命と向き合い、患者さんやご家族と向き合い、上司や同僚、多くの職種との複雑な人間関係のなかで日々を過ごす看護師たち。
看護師に共通の悩みやストレス、言葉にはなかなか出せない苦しさを、多かれ少なかれそれぞれが背負っているように感じます。
患者さんやご家族に自助グループが有効なように、看護師にもそんな場の力が必要なように思います。
交流会という名の自助グループ。
安全に自分を語れる場には、そうそう巡り合えないもの。
そういう意味では、あの場は、皆さんの財産だといえるかもしれません。
まるで実家のように、疲れた心を癒す場であり続けたいと願っています。
12月開催予定の交流会も、ご参加くださった皆様とともにあたたかな場を創っていきたいと思います。