ケアする人をケアする

介護・育児中のご家族、それを支える専門職、そんな「誰かをケアする人」のケアを考えます。

相手の強い感情、言葉に怯みそうになるとき

調べもののために少し前の雑誌のページをめくっていたら、訪問看護師さんが書かれた記事に目がとまりました。

 

「あんたたちが来たってやっぱり何かあれば救急車よ」「看護師に何ができる?」「血圧を測って僕の何がわかるの」「お金かかるんでしょ」「俺のつらさはわからんでしょ」。よくこんな言葉を口にする利用者に出会います。正直、怯んでしまうこともあります。そんなときは、自分の気持ちを受け止めつつ、ふーっと、鳥になって上から眺めている場面を想像します。そしてその場の空気を感じ、呼吸を相手に合わせ、しっかりと目を見て、利用者の言葉をただ短く繰り返します。

加藤裕子:訪問の合間に一句詠んでみる 訪問看護泣き笑い川柳 p48、コミュニティケア18(09)、2016、日本看護協会出版会

 

 原則たった一人で利用者さんの居宅に出かけて看護サービスを提供する訪問看護師さん。

利用者さんの多くは、入院中とは異なる一面を見せてくださいます。

病棟では言葉に出せなかったさまざまな感情が一気に噴出したり、訪問看護師さんがどこまで自分を支える覚悟があるのかを試してみたり。

利用者さんの自宅で、一人でこうした感情を受け止めるのは、プロとはいえ本当につらいものがあります。

 

「逃げ出したい」そう思っても、何とかその場に踏みとどまり、対話を続けていかなけえばなりません。

筆者の加藤裕子さんは、そんな時のヒントを紹介してくださっています。

短い言葉のなかにエッセンスがたくさん。

 

①自分の「困った気持ち」を認める、キャッチする

 「自分の気持ちを受け止めつつ・・」

まず、自分が発する「これは困るパターンだ」というサインを素早くキャッチするということですね。始動が遅れると、ズルズルと状況に巻き込まれてしまいます。

②状況を俯瞰してみる

 「ふーっと、鳥になって上から眺めている場面を想像します。」

利用者さんと対面しつつも、自分の頭のなかでは距離をとって、この状況を俯瞰してみるということですね。「俯瞰すること」これは、圧倒されたり、巻き込まれることなく対応するためのポイントのように思います。

③相手に波長を合わせる

 「その場の空気を感じ、呼吸を相手に合わせ・・」

俯瞰することによって距離を保ちつつも、距離を保ち続けるのではなく、空気を感じたり、呼吸を合わせたりすることによって、相手の波長に合わせる。

波長を合わせる、同調する・・。それが、自分自身を落ち着かせることにもなり、相手への寄り添う姿勢にもつながるのではないでしょうか。

④「逃げない姿勢」を相手に示す

 「しっかりと目を見て・・」

強い感情をぶつける相手の目を見て話すということは、とても難しいことです。ただ、まっすぐに視線を捉え続けることで、何よりも「私は逃げませんよ」という姿勢を示すことができます。

睨みつけてはいけないけれど、少なくとも視線を逸らさない。対話を続けていこうとする姿勢を、視線によって示す。難しいけれど大切なことですね。

⑤反映を繰り返す

「利用者の言葉をただ短く繰り返します」

強い感情が相手を支配している時に、中途半端に共感を示す言葉は、ますます感情を煽る可能性があります。

「ああ、あなたはこう感じているんですね」ということをそのまま短いことばで返してみる。そうすると、まるで鏡のように、「ああ、自分はこう感じているんだ」ということが相手に伝わり、相手のテンションが下がって、次第に冷静になっていくことがあるものです。

何と言葉を発したらよいのかわからない、そんな時にも、相手の言葉をただ短く繰り返してみる。そんなアプローチが助けになることも多いのではないでしょうか。

 

相手の強い感情、言葉に怯みそうになるときのヒントをいただきました。

①自分の感情をキャッチし、

②状況を俯瞰してみる

③相手と波長を合わせ

④逃げない姿勢を示しつつ

⑤短く反映を繰り返す

 

相手の感情に引きずられそうになる時には、これらのヒントを活かしながら、自己コントロールを失わないようにすることが大切だと実感しています。

 

さて、このブログ。

今年はこれにて。

また年明けに、お目にかかりたく存じます。

どうぞ良いお年をお迎えください

 

「家族看護」という言葉をご存知でしょうか?

「家族看護」という言葉をお聞きになったことがありますか?

「家族看護」とは、病気や障害とともに生きる当事者(患者さん)だけではなく、有形無形の影響を受けて支援を必要としているご家族を、「ご本人とともに丸ごとサポートしていきましょう」という考え方に基づいた看護実践です。

1970年代に北米で誕生し、1990年代前半に我が国に導入されました。

24年前には、日本家族看護学会も設立され、全国の看護師たちが研鑽を積んでいます。

2008年には、「患者さんのみならずそのご家族を丸ごと支援する」、このことに高い専門性をもつ「家族支援専門看護師」が誕生し、現在50名を超える方々が急性期医療、緩和医療、あるいは小児領域、在宅ケアの場などで活躍しています。

 

例えば、昨日ご紹介した友人は、乳がんの温存手術後、家族のなかでも孤立を深めました。

手術、放射線治療を終えても、未だに「失くした胸を取り戻したい」「こんなハズじゃなかった・・」といつまでもグズグズしている妻に夫は、「胸なんかどうだっていいじゃないか」と苛立ちを強めました。

彼女は、「夫にはわかってもらえない」と孤立感を深め、夫婦の関係性にも緊張が走りました。

そして高校生の息子さんは、そんな両親を前にどうしてよいかわからず、ますます無口になり、さらに、彼女の実母が要介護状態になったことが、事態に拍車をかけていました。

実母は、連日のように彼女を呼び、愚痴とも嘆きともつかない話しを延々と。気分がめいり、体調もすぐれず、主治医とは没コミュニケーション。

いったい誰に助けを求めたらいいのか、本当に長い間、彼女もご主人も、そして息子さんも苦しい時を過ごしていました。

 

誰かが病気になる、障害を負うという出来事は、本人だけの問題ではなく、家族全体にさまざまな影響をもたらします。

その家族に起こったさまざまな影響が、またご本人にふりかかり、苦悩を強めるという悪循環を来していることが多いものです。

このようなときに、家族全体に何が起こっているのかを視野に入れて支援するのが「家族看護」であり、家族支援専門看護師です。

 

制度上の問題もあり、家族全体を視野に入れた看護の広がりは、とても地道なものです。

地道なものではあるけれど、少子高齢人口急減時代を迎えた今、今後ますます大切にしていかなければならない視点だと感じています。

今、全国に研究会の支部を拡げようという動きが始まっています。

 

先の友人が、ご主人が、そして息子さんが、気軽に相談してもらえるように、そして、患者さん・ご家族と一緒に考え、目の前の難局を共に乗り越えていけるよう、私たち支援する側の力をもっともっとつけなければと思っています。

 

メッセンジャーナースをご存知でしょうか?

以前、乳がんを体験した友人が、主治医との関係にとても悩んでいました。

乳がんという診断に驚き、戸惑い、ただ、「温存できる」という医師の言葉に救われ受けた手術。

しかし術後、彼女は打ちのめされました。

ハーフサイズになってしまった不揃いな胸がどうしても受け入れられず、正視できない日々。

放射線治療が終了したころで「どうしても再建したい」そんな気持ちがムクムクと。

ところが、彼女曰く、「放射線治療をした皮膚は再建が難しい」と医師からは一蹴され、「今さら、何を言うのか!」という気まずい雰囲気に。

それ以来「再建」という言葉は出せなくなってしまったそうです。

乳がんの専門医が限られている地方のことゆえ、主治医を変えるのは不安もあり、眠れないほど悩む日々が続きました。

そんな彼女に家族も、「別に胸なんかどうだっていいじゃないか」と苛立つことも。

ますます孤立感を深めた彼女は、安定剤が手放せなくなってしまいました。

 

「ナースに相談してみたら?」

そんな言葉をかけたこともありましたが、彼女は首を横に振り、「あの先生は気難しい先生で有名だから、看護師さんも困ってる」と。

 

友人が欲していたのは、親身になって聴いてくれる主治医の態度と、納得のいく説明でした。

「そうですか、そんなに悩んでおられるのですね・・」そんな一言で、胸のつかえが下り、気持ちがほどけていったのではないでしょうか。

そして、再建したいという友人の気持ちに添って、その可能性を共に探ってもらいたかった。

「ダメだと却下せず、あの時に形成外科に紹介してもらいたかった・・・」そう友人は唇を噛んでいました。

 

主治医に伝えたいことがうまく伝わらない。

言われていることの意味がよくわからない。

一方的に断定されるだけで、話し合いにならない。

「どうしますか?」と選択を迫られるけれど、自分では決められない。

話し合いをしても、責められているような気持ちになって辛い。

 

こんな医療現場でのサービスの受け手と担い手のコミュニケーションギャップ。

誰か通訳して埋めてくれないかと切望したことはありませんか?

納得した選択ができるよう、医療者との間に入ってとことん自分と付き合ってくれる専門家が欲しいと思ったことはありませんか?

 

実はこうしたニーズに応え、第三者の立場から、医療者と患者・家族の架け橋をするために育成されているのがメッセンジャーナースです。

メッセンジャーナースは、一般社団法人よりどころ[メッセンジャーナース認定協会]に登録され、認定証を取得・持参しています。

 

彼らは、起業して個別のご相談、介入をするだけではなく、医療の受け手と担い手のギャップを埋めるべく職員の教育に当たったり、市民講座を開催したり、あるいはサービスの受け手のニースをくみ取った介護サービス事業所を立ち上げたりなど、実に幅広い活動をなさっています。

2018年12月現在、全国34都道府県に122名の方々がご活躍だそうです。

 

先にご紹介した友人は、結局再建への想い断ちがたく、自分でセミナーに出かけ、同じ乳がん体験者の会に出席し、情報とつてを手繰り寄せて、手術にこぎつけました。

苦難の数年間でしたが、再建した胸だけではなく、「自分の気持ちを貫いて自ら行動した」という何者にも代えがたい自信を得たようです。

しかし、「他の人にはこんな思いはさせたくない」これが彼女の口ぐせです。

 

多忙を極める医療現場。

医療者と患者・家族とのコミュニケーションギャップは双方がいくら努力をしても、完全に防ぐことは難しいですね。

メッセンジャーナースがもっともっと身近にいて欲しい。

そう願わずにはいられません。

 

 

 

ケアする人のケアの会からのお知らせ

「ケアする人のケアの会」より、来年上半期の以下のようなイベントを告知させていただきます。

 

①渡辺式事例検討会in関西

 日時:2月23日(土) 午後

 場所:滋賀県立総合病院 懇親会あり

 主催:「渡辺式」家族看護研究会関西支部 会長 松本修一(家族支援CNS)

 申し込み方法等は、後日、告知させていただきます。

 

②ケアケアの会 交流会(先着25名)早くも受付中!

 日時:4月20日(土) 10時~16時30分

 場所:兵庫勤労市民センター 会議室(神戸市兵庫区羽坂通4-1-1)

 内容:事例検討など 懇親会あり

 参加費:1000円

 申し込み方法:メールにてお願いします(kazoku-care@k6.dion.ne.jp)

 

 

③「渡辺式」事例検討マスター養成研修会(先着25名)すでに受付中!

「渡辺式」家族看護研究会では、職場で「渡辺式」を用いた事例検討を実施・定着させるリーダーを以下の通り養成します。

1)対象:対人援助職で「渡辺式」事例検討に興味のある方なら職種は問いません

2)日時:①6月1日(土)、2日(日) 10時~16時30分

     ②7月6日(土)、7日(日) 10時~16時30分

     ③10月5日(土)、10時~16時30分

3)場所:兵庫勤労市民センター(神戸市兵庫区羽坂通4-1-1JR兵庫駅徒歩2分)

4)研修内容

  事前課題:事例提出

 <1日目> ・自己紹介

       ・家族を可視化し、支援を導くための基礎理論

       (ナラティブ 家族システム理論 

                            バウンダリー(家族の構造と境界)

        解決志向アプローチ)

       ・「人間関係『見える化』シート」について

       ・模擬事例を用いた分析

 <2日目> ・「人間関係『見える化』シート」を用いたグループワーク ①

       ・グループワーク ②

       ・グループワーク ③

【1か月の課題】

 ・職場に戻り、5人以上のスタッフに「人間関係『見える化』シート」を用いた事例 

  検討について伝える

 ・最低1度は、実際の事例を用い、事例検討会を実施する。

 

 <3日目> ・1か月のOJTの成果と課題

       ・事例検討やカンファレンスの意味を掘り下げる

       ・カンファレンスの進め方

       ・ファシリテーションについて

 <4日目> ・事例検討会開催、運営への取り組み案の検討

       ・アクションプランの作成・発表

【3か月後・認定講習会】

 ・アクションプランの実施報告

 

2日目、4日目に懇親会を行います

 

5)主催:『渡辺式』家族看護研究会

6)講師:渡辺裕子

     柳原清子

7)受講料 1日6000円。5日間で30000円

8)申し込み方法

①メールでお申し込みください。(kazoku-care@k6.dion.ne.jp)

②件名は「渡辺式事例検討会マスター申し込み」でお願いします。

③メールには、お名前、住所、所属先、職種、連絡がとりやすい電話番号、メールアドレス(できればPCで)、領収証の必要の有無を明記してください。折り返し、受付完了のメールをお送りし、事前課題のご案内を送付いたします。

④受講料は、当日現金でお支払いください。 

⑤お問い合わせは、上記メルアドまで。         

ダブルバインドをどう生きるか

昨日のブログ記事で、若いナースのコミュニケーション能力が低下したと認識されている背景、ダブルバインドについて書きました。

 

  

つまり、ナースが働く組織のなかでも、「仕事を効率化し、残業はしない」と指導される一方で、「患者さん・家族とはしっかりと向き合い丁寧に対応する」といった二つの一見、合い矛盾した指導や、「マニュアル遵守」を言われる一方で「マニュアルばかり頼らず自分で考えろ」と言われたり、「自分の意見を自由に発言して良い」と言われながら、「空気の読めない人だ」と叱責される、このようなダブルバインドが存在するのは確かです。

 こうした矛盾した状況のなかで、「どっちやねん?」と大いに戸惑い、そして寡黙になっていく若いナースも少なくはないでしょう。

 

このことについて、現場のナースの皆さんから、生の声が届きました。

「残業はダメ、でも、看護の質は落とさないでね」

「もっと効率的にやりなさい。でも、患者さんや家族の気持ちに寄り添ってね」

そんな一見、矛盾するメッセージに、現場の若手のナースたちは悩み、なかには疲れ果てて退職を希望する声も。

そして、それを現場に伝える中間管理職の方も、現場の混乱がわかるだけに悩んでおられました。

 

例えば子供の障害を伝えられた親御さんが、自らの気持ちを語り始めるには、さまざまな思いが言葉として結実するのを待つ時間がどうしても必要です。

気持ちを立て直し、行動に移すには、タイミングも必要です。

看護師が相手の思いに寄り添おうとする時、「あっ、すみません。私退勤時間なので。残業はできないんです」と切ることなどできるはずもないのに・・。

管理者側は、いつも私たち現場に無理難題を押し付ける。

そんな怒りにも似た理不尽な思いが現場には存在するように感じました。

考えてみれば皮肉なことです。本来はナースの労働環境の向上を目指すはず取り組みが、ナースの仕事に対する満足度をひょっとして低下させているのかもしれません。

 

さて、本題です。

平田オリザさんによれば、

こうした「ダブルバインド」は、成熟社会を迎えた日本では、どの組織、システムにもみられることだそうです。

医療のみならず看護教育に携わる人も、「自主性を育てたいと言いながら、実は学生に教員や現場のナースが求める答えを言わせようとしている」と話していました。

「上は何を考えているのか矛盾していて理解できない。現場を見ていない」と嘆き、「こんなところにはいられない」と転職しても、またその場で同じことが繰り返される。

それでは、私たちはこの苦しい状況をどう考え、切り抜けていけばよいのでしょうか。

まずは、「バブルバインド」は組織に身を置く以上、避けられないことであり、決して悪いことではないと受け入れる。

そこから始まると平田さんは強調しています。

 

平田さんから学んだことは、「対話」です。

平田さんは、対話をこのように定義しています。

 

 

「対話」 = あまり 親しく ない 人 同士 の 価値観 や 情報 の 交換。 あるいは 親しい 人 同士 でも、 価値観 が 異なる とき

 平田オリザ. わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) (Kindle の位置No.877-878). 講談社. Kindle 版.

 

つまり対話とは、Aという意見をもった人とBという意見をもった人が、情報の交換を行い、Cという共通の意見を形成すると考えてよさそうです。

「看護の質を下げずに効率化をはかるべき」という考えの人と、「そんなことはできない」と考える人が、お互いの考えの基になる情報を交換し合って、「それではこうしよう!」という合意を形成していく。このプロセスが対話です。

言葉にすれば、何でもないように感じますが、特に「同質な社会」である日本には、対話の文化が育っていないとのこと。

しかし、この対話のプロセスがうまく機能していないと、「押し付けられた」感や理不尽さなどの負の感情が募っていきますね。

 

例えばナースの時間短縮推進派と反対派というように、異なる立場、意見をもつ人がともに話し合い、検討し合って、新たなありかたを生み出していくのが対話ですが、それは理想であって、現場にはそんな時間も余裕もないというのが実感ではないでしょうか。

しかし実際に、管理者と現場のスタッフが話し合い、ナースの患者さんや家族と関わる時間を減らすことなく業務の改善に取り組んで、残業を大幅に減らしたという実体験も届いています。

 

こうした変化を生み出すには、お互いに自分の立場や意見に固執するのではなく、異なる立場や価値観をもった人と出会うことで自分の意見が変化していくことを潔しとする姿勢が不可欠ですね。

そして、お互いに、同じ立場ならわかってもらえると思うことを、虚しさに耐えて、諦めずに説明する能力が必要です。

平田さんは、前者を「対話的な精神」、後者を「対話の基礎体力」と呼んでいます。

 

 どこにいってもダブルバインドが避けられない以上、この世は矛盾に満ちていることを受け入れてどっしりと受け止め、諦めて流されるというのではなく、対話の基礎体力を発揮させ、対話的な精神で事に臨むことの大切さを感じました。

Aという意見とBという意見の二者が話し合い、AかBかに収束するのではなく、Cという新たなものを生み出していく。

ダブルバインドには、そんなチャンスも内包されていることを学びました。

 

 

若いナースのコミュニケーション能力は低下しているのだろうか?

ここ数年、ナースの教育担当者から、「若いナースのコミュニケーション能力が年々低くなっている」という声をよく耳にするようになりました。

まず今どきの若者は、患者さんや家族と当たり前の世間話をすることが難しく、何かにつけて今一歩の踏み込みが足らないとというのが、教育担当者の悩みです。

例えば、患者さんが、

「まだ、食事は食べられませんか?」と尋ねてきた時に、

「そうですね、まだ絶食の指示が出ています」とだけ答える若いナースに、教育担当者は物足らなさを感じるといいます。

「お腹、すきましたか?点滴ではなく、口から食べたいですよね」と一言添えれば、患者さんの気持ちに寄り添うことができ、「空腹感が出てきたのは良いことですね、今はまだ絶食ですけど、(・・・のような経過を経て)少しづつ普通の食事が摂れるようになります。あともうひといきですよ」と伝えれば、患者に希望を与え、先の見通しを示して励ますこともできるのにと残念がります。

どのようにして彼らのコミュニケーション能力を高めたらよいのかとアドバイスを求められることもあり、そもそも「コミュニケーション能力とは何だろう?」と考えていたときに、知り合いから、一冊の本を勧められました。

 

平田オリザ著 わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か 

本書は、劇作家である平田氏によって述べられた、今という時代に求められるコミュニケーション能力の考察です。

そのなかに、こんな一文がありました。

 

  繰り返す。 子ども たち の コミュニケーション 能力 が 低下 し て いる わけ では ない。 しかし 年々、 社会 の 要求 する コミュニケーション 能力 は、 それ を 上回る 勢い で 高まっ て いっ て いる。 教育 の プログラム は、 それ に ついて行っていない。

 

 これをナースの状況に照らして考えてみると、

「若いナースのコミュニケーション能力が低下しているわけではない。しかし年々、医療現場で要求されるコミュニケーション能力はそれを上回る勢いで高まっている。教育のプログラムは、それについて行っていない」ということが言えそうです。

 

確かに、治療そのものが高度化・複雑化しているうえに、患者さんや家族の価値観もライフスタイルも多様化しています。医療サービスをどこまで受け、どこでどのように最期を迎えるのかといった意思決定支援が重要な課題になり、しかも、チーム医療、多機関・多職種連携により、コミュニケーションの回路はより複雑になっています。

 

ナースの対象は性別、国籍、人種を超え、乳幼児から超高齢者まで。健康な方から終末期に至る方まで、あらゆる健康レベルの方とコミュニケーションをはかる職種だということを考えると、最も幅広いコミュニケーション能力が求められる職種のひとつだといえるのではないでしょうか。

 

このように、ナースに求められるコミュニケーション能力が低下しているかに思えるのは、医療減現場で求められるコミュニケーション能力がどんどんと高くなっていることに加え、どうやら彼らが働く企業、つまり病院側の要因もありそうです。

 平田さんは先の著書のなかでこう指摘しています。

 

結論 から 先 に 言っ て しまえ ば、 いま、 企業 が 求める コミュニケーション 能力 は、 完全 に ダブルバインド

ダブルバインド( 二重 拘束) の 状態 に ある。ダブルバインド とは、 簡単 に 言え ば 二つ の 矛盾 し た コマンド( 特に 否定的 な コマンド) が 強制 さ れ て いる 状態 を 言う。 たとえば、「 我が 社 は、 社員 の 自主 性 を 重んじる」 と 常日頃 言わ れ、 あるいは、 何 かの 案件 について 相談 に 行く と「 そんな こと も 自分 で 判断 できん のか! いちいち 相談 に 来る な」 と 言わ れ ながら、 いったん 事故 が 起こる と、「 重要 な 案件 は、 なん でも きちんと 上司 に 報告 しろ。 なんで 相談 し なかっ た ん だ」 と 怒ら れる。 この よう な 偏っ た コミュニケーション が 続く 状態 を、 心理学 用語 で ダブルバインド と 呼ぶ。

平田オリザ. わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書) (Kindle の位置No.103-104). 講談社. Kindle 版.

 

 つまり、ナースが働く組織のなかでも、「仕事を効率化し、残業はしない」と指導される一方で、「患者さん・家族とはしっかりと向き合い丁寧に対応する」といった二つの一見、合い矛盾した指導や、「マニュアル遵守」を言われる一方で「マニュアルばかり頼らず自分で考えろ」と言われたり、「自分の意見を自由に発言して良い」と言われながら、「空気の読めない人だ」と叱責される、このようなダブルバインドが存在するのは確かです。

こうした矛盾した状況のなかで、「どっちやねん?」と大いに戸惑い、そして寡黙になっていく若いナースも少なくはないでしょう。

 

そして、平田さんによれば、成長型から成熟型に変貌を遂げた今の日本では、このダブルバインドがあらゆる組織、システムに広がっていて、ダブルバインドは必ずしも悪いことではないというのが氏の意見です。

だとすれば、組織のダブルバインドを非難し、寡黙になるのではなく、この状況と向き合っていく他はなさそうです。

 

「最近の若いナースのコミュニケーション能力は・・・」という現場の嘆きを、どう受け止めて改善につなげていくのか、この本から重要な示唆を得ました。

 

・彼らのコミュニケーション能力が低下しているわけではなく、医療現場で求められる水準が著しく高くなっていること

・組織に広がるダブルバインドが、彼らのコミュニケーションに影響を及ぼしていること

・今後ますますダブルバインドと向き合い、分かり合えないことを前提に対話を続ける基礎体力をどう養うかが重要であること

 

広く部下や上司とのコミュニケーションに悩む方々にお勧めしたい1冊です。

 

医師のバーンアウト

もう、40年近く前のこと。

看護師の国家試験に合格したその年、私は学校に通いながら看護師の夜勤のアルバイトを始めました。

当時は、ナースステーションではなく、「看護婦詰め所」。

その詰め所でのこんな会話を、今でもはっき覚えています。

「〇号室の患者さんが昨日亡くなったから、〇〇先生は今日から3日、お休みだねぇ」

 

会話に登場した医師は、当時40代の半ば。

朝、夕、必ず病室を訪れ、患者さんの話しをよく聴き、皆に慕われる人気の医師でした。

当時は、今のような病院の機能分化が進んではおらず、2か月、3か月の入院は当たり前。

その医師と患者さん、家族との関係は、他の医師よりも濃密だった記憶があります。

 

そんなことも影響してか、もともとの繊細なパーソナリティーの成せるわざか、血液内科が専門だったその先生は、受け持ちの患者さんが長い闘病の末に亡くなると、翌日から出勤せずお休みするのが暗黙の了解になっていました。

多死時代を迎え、医師不足に喘ぐ今ではとても考えられない光景。

受け持ちの患者さんが亡くなった後に休暇を取るのは、先生なりに一区切りつけ、再び診療に向かうエネルギーを充填するために必要だったのだと思います。

「人として患者さんに真っ向から向き合っておられたんだなぁ」と時々、ふとその先生を思い出しています。

 

先日、ふとこの先生のことを思い出し、記憶の糸をたぐっていたところ、こんな記事を目にしました。

「医師のバーンアウト」

 

看護師、福祉現場の援助職に関しては、以前からバーンアウトが問題視されていましたが、これに比べ、長らく医師はバーンアウトしないと考えられていたそうです。

しかし、パターナリズム的な医師ー患者関係から、患者さんとフラットな関係に変化し、医師はこれまで以上に幅広い配慮が求められています。

このようなサービスの質の変化とストレスの増大が医師のバーンアウトを増大させているそうです。

日本の脳神経内科医934人の実態調査では、約40%にバーンアウトの症状がみられたと報告されていました。

 

対策として重視されているのは、個人のレジリエンスを高めるだけではなく、組織的な対策が不可欠とか。

過重労働を防ぎ、多様な働き方を選択できるなどの労働環境の組織的な改善が提言されていました。

昨今、医師の労働環境の改善に向けた取り組みの記事を目にすることも多くなってきました。

 

こうして考えてみると、遠い記憶のなかの医師も、バーンアウトに陥らないよう、ご自分で対処なさっていたのかもしれません。

何やら最近では弁護士もバーンアウトも問題になっているようです。

職種を超え、「人を支える人」や「ケアする人」をケアするしくみが必要になっていることを痛感したのでした。